「遺書細胞」
人間の生と死、そして生命の遺伝的な記憶を巡る探求を表現するにはどうすればいいだろうか。
細胞レベルに刻まれる記憶や思いは、個人の命が尽きた後も生き続け、次世代へと受け継がれていく。
この作品は、私の内にある「遺書」のような、生命の記録を映し出し、肉体を越えて残るものについての問いがある。
それは、はかない生命の証であり、個々の命が途切れてもその思いが続くことを示唆するものである。
「静かなる継承」
日本人形を作る道具には、祖母の手が生み出した温もりや細やかな心配りが宿っており、道具を通じて手仕事の記憶が今も息づいている。
「静かなる継承」と「遺書細胞」は、どちらも「時間を超えて受け継がれるもの」や「目には見えない形での伝承」が共通する。
個人の記憶や思いが何かしらの形で次世代に伝わっていくことが共通点であり、「遺書細胞」は生命の中に刻まれる記憶や遺伝的な要素の伝承を、また「静かなる継承」は日本人形の道具に刻まれた祖母の技と魂の伝承を象徴する。
どちらの「遺産」も、物質的なものではなく、精神的・情感的なものである。
「遺書細胞」では生命の中に刻まれたメッセージ、「静かなる継承」では道具を通して感じられる手仕事の温もりや愛情である。見えないけれど伝えたいことでもある。
「遺書細胞」は細胞が集まって全体を形成する生命の象徴であり、「静かなる継承」も一つの道具が人形の一部、ひいては文化や歴史の一部となっており、どちらも、一つひとつの小さな要素が集まり、全体としての意味を持つ。
静かな時間の中で、痕跡や、命の連鎖を感じ取る瞬間を集めている。
生命や技がいかにして受け継がれていくか、静かに響いていくといいなと願う。
作品を作るに至った簡単な説明
「遺書細胞」
自分の過ごしてきた人生を、次の世代に伝えるには、どうすればいいだろうか。
1つ1つの写真を細胞に見立てて、思い出を渡す装置にならないかとして作った。
一方
日本人形を作るパーツは、祖母の遺品である。
祖母は、渡す相手への安寧と幸せを祈り日本人形を作っていた。
個人の記憶や思いを何かしらの形で次世代に伝えるのも努めかもしれない。