2018年京都造形芸術大学(京都芸術大学)に入学。
子育てを終え、介護も終わり、きちんと写真の勉強してみたいな、通信なら何とかなるかな、と
軽い気持ちで入学。
あるスクーリングの二日目、娘の入院先から、出産になりそうだという連絡が入り、授業をキャンセルして病院へ向かう。
初孫が生まれた。
退院後なるべく早く子ども病院へと言われる。
そこから障がい児と向き合うことがスタートした。
障がい児については、娘ともども、あまりにも知識がなさすぎて呆然
親にとっても子供にとっても肉体的にも精神的にも困難な日があり
不安になるだろう、そういう時の手伝いをしなければ
ということで
出生後、まず出来ることは、病院通いのサポートだった
そして、知識が必要
本をあさり、インターネットを検索し手探りで調べ出した。
療育も障がい児の手ほどきも、初歩のノウハウを手に入れたいと、
わけわからずに発達障害の本を普通に買い込んだが、発達障害とは違いますと言われ、翻弄
彼を理解し、支援することが、多少なりとも手伝いになる
私が彼をわかるための写真を撮り出す。
医者、看護師、療育の専門家たちに いろはの「い」から、教えを請う。
行ったこともなかった子ども病院が、すっかり馴染みの場所となった。
耳鼻科、内科、代謝内科、泌尿器科、神経内科、眼科……覚えきれない
朝一番に行って、昼ご飯も食べるひまなく、帰りが夕方になることも。
赤ちゃんの腕から採血なんて、血管細すぎだし、乳児の病院通いは、何ともつらいことではある。
まぁ、まわり中、そんな子たちが大半の病院なので、あれこれあれこれ
ロールプレイングのゲームのように、いろんな科を回るうちに慣れていった。
実に様々な検査の日々のあと、染色体異常を告げられた。
類例があまりに少なく、参考に出来そうなことは、手探り状態。
治るっていうものではない、療育で出来る事を増やしていくしかない。
娘も、だんだんに慣れ、覚悟もでき、新生児の時期をすぎ、乳児、幼児と進んでいる
いわゆる一般的な発達は望めないが、
それでも、超超超ゆっくりと発達していくのが嬉しいものである。
初めての孫が、障がい児だったという、一人の祖母から見た記録でもある。
一番最初の耳が聞こえるという診断は嬉しかった。程度はともかく
目もおそらく大丈夫(眼科の診察に寝てしまう)
首が座るといいな(結局いつ座ったのか不明)
座れるといいな(倒れる倒れる)
はいはいができるといいな(背バイでやってくる)
立てるといいな(立つ気はまんまん、つかまり立ちが出来た!バタッと倒れて危ない危ない)
歩けたらいいな(歩けるようになりそう)
しゃべれたらいいな(自分の意志を伝えるのはいつの日か)
自分で食べられるようになるといいな(ちょっと手が出せるようになった。大好きなものに限るが)
呼んだらふりむいてくれるといいな(いつの日か)
目を合わせてくれるといいな(得意技 視線外し)
私の撮った写真が、自分と同じ立場の人とつながり、お互いに助けやアドバイスを求められるようにするのに役立つといいな 最初は、そんな思いがあった。
その後、
彼が、本当に自由だなぁ
と感じている。
自分の世界を十分に楽しんでいる。
卒制も後半、昨年の秋、5歳になった。
最近
療育の訓練の甲斐も有り、手をひっくと少し歩けるようになった。大大進歩。
ベビーカーから子供用車いすに変わった。
機嫌のいいときは声も出る
そして、いつもどおり鏡を見ながら自分の世界に浸っている。